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ライフル射撃小史・概略


スポーツとしてのライフル射撃競技は、1551年ドイツのライイプチッヒで行われた記録があります。


15世紀の終わりから16世紀のはじめにかけて、ヨーロッパ各地に射撃協会が設立され、次第に一般大衆のスポーツとして発展し、1897年にはフランスのリヨンで第1回世界選手権大会が開催されています。オリンピック大会には、1896年のアテネにおける第1回大会より、正式種目として採用されています。現在では水泳、陸上に次ぐ参加国数を数えオリンピックでも重要な種目になっています。


古くは明治15年、明治天皇の御叡旨により日本帝国小銃射的協会(当初は東京共同射的会社と称した)が設立された記録がありますが、わが国のライフル射撃競技がスポーツとして成立したのは大正13年、当時、明治大学の学生であった故社団法人日本ライフル射撃協会名誉会長師尾源蔵先生が主唱し、第1回関東学生射撃大会が開催され、この大会を契機として学生射撃連盟が創立し、さらに全国統一団体として、財団法人大日本射撃協会の設立に発展したことに始まります。戦後、日本ライフル射撃協会と改称され、昭和46年9月に社団法人日本ライフル射撃協会となり今日に至っております。


国際競技に関しては、昭和26年に国際射撃連合に復帰し、1952年第15回オリンピック大会(ヘルシンキ)及び第35回世界選手権大会(オスロ)に初めて選手団を派遣しました。


1954年第2回アジア大会(マニラ)にも選手団を送ってピストル競技で優勝しました。1956年の第16回オリンピック大会(メルボルン)では、保坂選手がフリーピストルで堂々4位に入賞し、わが国におけるピストル射撃競技の基礎をつくり、1958年5月に21ヶ国の参加を得て日本で開催した第3回アジア大会においては、フリーライフルで3位のほかスモールボア・ライフル(3姿勢・伏射)、ピストル(フリーピストル、ラピッドファイア・ピストル)に優勝しました。また、オープン競技としてのエア・ライフル競技では、同一規格の銃を選手に貸与し60発3姿勢競技を行い日本は2位になっておりますが、この大会で来日された国際射撃連合のラーソン氏は、日本のエア・ライフルの優秀なことに驚いておりました。


1958年第37回世界選手権大会(モスクワ)では、団体競技のフリーピストルで5位、ラピットファイア・ピストルで7位、センター・ファイア・ピストルで8位、個人で上田選手が7位を占めました。


1960年第17回オリンピック大会(ローマ)では、吉川選手がフリーピストルで3位となり待望の日章旗を揚げ、またスモールボア・ライフル伏射60発競技で猪熊選手が6位に入賞しました。


1962年第38回世界選手権大会(カイロ)では、団体競技でフリーピストル6位、ラピットファイア・ピストル11位、個人で吉川選手がフリーピストル2位という成績をあげております。同年8月の第4回アジア大会(ジャカルタ)では、石井選手がスモールボア・ライフル3姿勢で、フリーピストルで吉川選手、ラピッドファイア・ピストルで了泉庵選手がそれぞれ優勝、スモールボア・ライフル伏射60発競技で赤川選手が2位に入賞しました。第38回世界選手権大会と同時に開催された国際射撃連合総会において、わが国より提案のエア・ライフルの国際ルールをつくることが可決され、1966年7月の第39回世界選手権大会(ヴィスバーデン・独)より正式種目(スタンダード・エア・ライフル立射40発競技)となり、わが国からも団体として選手を派遣しました。


1964年第18回オリンピック大会(東京)では、吉川選手がローマ大会に続きフリーピストルで3位、スモールボア・ライフル伏射60発競技では、当時、明治大学在学中の林崎選手が6位に入賞しております。東京オリンピック開催中に話し合われたアジア射撃連合の設立について1966年にバンコックで開催された第5回アジア大会において、第1回アジア選手権大会を日本において開催することが決定され、1967年7月朝霞射撃場で開催され、第2回大会は1971年韓国ソウル市で開催されました。第2回アジア射撃選手権大会で特筆すべきことは、女子競技(エア・ライフル立射40発競技、エア・ピストル40発競技)が行われ立射40発競技で長崎北高の中嶋選手が優勝したことです。


1970年第40回世界選手権大会(フェニックス・アメリカ)では、エア・ピストル競技が実施され、わが国も参加しました。


国際射撃競技の統轄は、現在、ドイッ・ミュンヘンにある国際射撃連合(インターナショナル・シューティング・スポーツ・フェデレーション=ISSF)が行っており、わが国をはじめとして世界137カ国、157NFが加盟しています。わが国の射撃競技の諸規則は、この連合の制定した基準に準拠しております。


第18回オリンピック大会(東京)以降のオリンピック大会では、常にメダル候補と言われながら特にピストル競技では成果が上がりませんでしたが、第23回オリンピック大会(ロサンゼルス)でついに蒲池選手がラピットファイア・ピストルで待望の金メダルを獲得したのです。その他特筆したいのは、この大会で初めて実施された女子エア・ライフル立射40発競技、スモールボア・ライフル3姿勢60発競技、スポーツ・ピストル60発競技のうち香西式子選手がエア・ライフル立射で10位、スタンダード・ライフル3姿勢で11位となり、今後の女子の活躍が期待される成績をあげることができました。


その後の1988年第24回オリンピック(ソウル)では、長谷川智子選手がスポーツ・ピストルで銀メダルに輝いております。


1992年7月に開催された第24回オリンピック(スペイン:バルセロナ)には、9名の選手が参加し、スモールボア・ライフル3姿勢120発競技で木場良平選手が、本戦1171点、ファイナル1,265.9点の高得点で3位(銅メダル)入賞を果たしました。また、この大会では、アジア勢の活躍がめざましく、12種目に入賞を果たしました。


1994年10月に開催された第12回アジア大会(広島)では、スモールボア・ライフル3姿勢60発競技で小島則子選手が666.7点、フリー・ピストル60発競技で中重勝選手が664.1点、スモールボア・フリー・ライフル立射40発で木場良平選手が381点で金メダルを、その他個人・団体を含めて銀メダル5、銅メダル5を獲得しています。近年アジア選手権大会等の国際大会で優秀な成績を収めておりますが更なる奮起を期待したいと思います。


 また近々の成果としては2000年シドニーオリンピック大会では女子ピストルで4個の入賞を果たしております。


日本の射撃競技界は2競技の団体に分かれ、散弾銃を使うクレー射撃は社団法人日本クレー射撃協会に属し、社会人・大学生・高校生を主体としたライフル射撃競技は、社団法人日本ライフル射撃協会が管掌しています。


ライフル射撃競技の主なものは、300mライフル競技(大口径)、・50mライフル競技には120発、60発の3姿勢、60発伏射があり、エア・ライフル10m競技では、40発立射、60発伏射・立射と3姿勢があります。ピストル競技には、フリー・ピストル50m60発、ラピッドファイア・ピストル、女子ピストル25m60発、エア・ピストル10m60発・40発競技などがあり、ビーム・ライフル競技では2姿勢40発と各姿勢(立・肘)60発競技などがあります。


また、1988年のソウル大会から50mライフル競技、エア・ライフル競技などでファイナル競技(正式にはファイナルと称します)が行われています。オリンピック種目は本射(いわゆる通常の競技)得点に加え、本選上位8名によるファイナルの合計得点をもって順位を決定するように決められています。


ファイナルの競技方法は、各種目とも10発競技を行いますが、種目によって定められた制限時問で1発を発射しなければなりません。1発の発射毎に採点を行い発表しますので、得点の推移により射手にとって大きなプレッシャーとなり、精神力の如何が勝負の分かれ目になるようです。点数は、小数点1桁まで出しますので9.5点とか10.7点等のようになり最終得点が10発撃って100点を越す場合もあります。本射得点とファイナルの得点の合計で最終順位を決定しますが、ファイナルに進めるのは、本射の順位が8位までの選手になります。